1982年のアタリショックを知っていますか?

1982年のアタリショックを知っていますか?

2021年4月、世界経済はコロナショックに包まれています。
コロナに対する不安はもとより、その影響で
停滞を余儀なくされる実態経済、それを織り込みにいく市場経済。
この局面は、ひとりひとりがとにかく頑張るしかありません。
目の前が真っ暗になってしまっても、必ず光はあると信じて頑張るしか。
そんな現実からちょっとだけコーヒーブレイク。
過去の「○○ショック」という言葉を調べていると
「アタリショック」という言葉をみつけることが出来ます。
ちょっと目を引くこのアタリショック
そして私たちが大好きなワード「クソゲー」。
調べてみましたのでご覧くださいませ。

※世界の市場経済における主だった「○○ショック」

1971年~ ニクソンショック
1973年~ オイルショック
1982年~ アタリショック
1987年~ ブラックマンデー
2001年~ エンロンショック
2005年~ ライブドアショック
2007年~ サブプライムショック
2008年~ リーマンショック

ひときわ目に着く1982年~「アタリショック」

1982年アタリショック?!

アタリショックとは1982年、アメリカ合衆国に
おける年末商戦を中心とした家庭用ゲーム機の
売上不振「Video game crash of 1983」のことを指します。
この崩壊にはAtari VCS以外のゲーム機の家庭用ゲーム市場も
含まれていますが、パソコンゲーム市場やアメリカ以外の
ゲーム市場は含まれていません。
家庭用ゲーム機の王者「ファミリーコンピュータ」登場は
1983年7月のことで、70年代後半の王者であったアタリ時代が
まさに終焉を迎える出来事となりました。




北米における家庭用ゲームの売上高が激減!

1982年には約32億ドルだった北米の家庭用
ゲーム市場が1985年には1億ドルと、3年で実に97%も減少してしまったのです。
この3年間で、ゲーム機やホビーパソコンを販売していた大手メーカーのいくつかが破産に追い込まれ、当時のゲーム市場で最大手だったアタリ社も崩壊、分割されることとなりました。

ファミコン以前の家庭用ゲーム機の覇者「Atari VCS」

Atari VCS(1977年)

Atari VCS(1977年)

上記画像のAtari VCS(1977年)は見てわかる通り
カセットタイプのゲーム機で、北米の家庭用ゲーム市場を
勃興させ崩壊させたと言われています。
Atari VCSの最終的な出荷台数は約1400万台。
ファミコン以前に日本で人気を博したカセット型の
ゲーム機「カセットビジョン」の出荷台数が
40~50万台であることと比べても、まさに北米で
一世風靡したゲーム機といえるでしょう。
1980年よりキラーソフトとして「スペースインベーダー」
「パックマン」「バトルゾーン」などの人気ゲームが
アーケードから数多く移植され、人気に火が付きました。

原因は?後にファミコンが成功した「サードパーティ」

ファミコンユーザーだった私たち世代は
任天堂以外のメーカーが次々にファミコンゲーム市場に
参入した時代を憶えていますよね。
ハドソン、ナムコ、コナミ、エニックスと様々な
ゲームメーカーが参入して凌ぎを削ることで
ファミコン市場はとてつもない隆盛を誇り
また数々のゲームメーカーが飛躍していきました。

下記、二人の任天堂社長のコメントにあります。

1986年当時の任天堂社長の山内博の認識によると
「サードパーティによる低品質ゲームソフト
(俗に言う「クソゲー」)の乱発がアタリの市場崩壊を招いた」
と言う。これは後世まで業界の共通認識となっており
2010年当時の任天堂社長である岩田聡は
「粗悪なソフトが粗製濫造されたことで
お客さんからの信頼を失ってしまった」と定義している。
ここから転じて、ハードやジャンルに関わらず
ゲームソフトの供給過剰や粗製濫造により
ユーザーがゲームに対する興味を急速に失い
市場需要および市場規模が急激に縮退する現象を
「アタリショックの再来」または単に「アタリショック」と呼ぶこともある。

サードパーティの粗製乱造!クソゲーたちが市場を破壊!!

サードパーティのゲーム開発者はアタリ社の
開発者とは違ってゲーム制作の未経験者が多く
非常に質の低いソフト(リアルクソゲー)が
市場に溢れ返りました。これら低品質ゲームソフトを
ユーザーは玩具店頭でパッケージをみて選ぶほかなく
「買ってガッカリ」のユーザーが溢れかえること
となって家庭用ゲーム市場全体の信用が損なわれていきました。
また悪循環なことに、ゲームが売れず倒産していった
ゲームメーカーのソフトが在庫処分などで
破格の安価で市場に出回り、結果として新作ソフトの
正価がバカバカしくみえてしまったことも
アタリショックに拍車をかけることとなります。
こうみると、ファミコンのサードパーティ戦略が
いかに優秀であったか、と思わざるをえませんね。

アタリ社自身もクソゲーを出してしまう!!

アタリ社が発売したビッグタイトルにも
大きな失敗作があった。たとえばアーケードの
大人気タイトル『パックマン』のVCS移植版は
良い出来ではなく、映画『E.T.』を題材とした
ゲームは非常に評判が悪かった。
後にアタリショック最大の戦犯にしてクソゲーの
象徴ともされることになる「E.T」は、アタリショック後の
1983年9月に14台のトラックに満載されてニューメキシコ州
アラモゴルド市の砂漠に埋められたと
当時ニューヨーク・タイムズで報道されました。
この場所は後に「ビデオゲームの墓場」と呼ばれ
アタリショックとクソゲーの象徴として半ば都市伝説化
して後世に語られていましたが、2014年4月に
発掘調査が行われ、実在したことが確認されました。。。

1982年のクリスマス商戦、市場崩壊の兆しが…

1982年のクリスマス商戦は、かつてないほどの
莫大な数のゲーム・ゲーム機が販売されること
となっていましたが、前述のようにすでにユーザーの
購買意欲は冷え込んでおり12月8日、アタリ社は
1982年度の第4半期の業績予測を下方修正します。
これは投資家に衝撃を与え、当時のアタリ社の
親会社であるワーナー・コミュニケーションズまで
巻き込み、12月8日から翌12月9日にかけて
株価は大幅下落。競合他社や関連銘柄も煽りを食って
軒並み株価の大暴落を引き起こしました。
この1982年のクリスマスはアタリショックの
発端とされています。ただし1982年度の市場規模は
30億ドルを超えるなど市場は依然大きく
この時点ではまだ市場崩壊と言える状態ではありませんでした。

値下げラッシュの1983年、そしてアタリ社の終焉

1983年には、全米の小売店の多くが不良在庫の
ゲームソフトを大量に抱えることに。そして小売店は
在庫処分価格でこれらのソフトを販売していきます。
この流れで、在庫処分ではない正規のソフトの価格も
それにつられて下げざるを得なくなりアタリ社も
値下げに追随。業界は値下げラッシュに入ってしまいました。
それまで大体30ドルだったソフトの販売価格は
一気に5ドルにまで下がり、2ドルで販売される
ゲームすら登場します。ファミコンソフトが
初期の3800円から4500円に順当に値上げされた
ことと比べると、なんとも悲惨ですね。
ゲームが低価格化したことは当初はユーザーに
歓迎されていたものの、やがて買ったソフトが
どれもリアルクソゲーという現実に直面し
ゲームから離れていく要因となってしまいました。
販売価格が下がったうえにゲームの売り上げが
一気に落ちてゲームメーカーの経営は一気に悪化し
特にアタリ社を直撃します。同社の経営は
1983年の第2四半期には極端に悪化し、赤字の
止まらないアタリ社のコンシューマ部門は1
984年に分割、売却されることとなりました。

北米版ファミコン「NES」で市場が復興

1985年にはファミコン(NES)のキラーソフトと
して『スーパーマリオブラザーズ』が発売され
人気に火が付いた。当初は日本製ゲームが主だったNESも
1987年頃より北米サードパーティが続々と参入し
北米家庭用ゲーム市場は1988年に23億ドル
(同年末の日本円で約2875億円)
1989年に50億ドル(同年末の日本円で約7150億円)
にまで達し、ようやくアタリショックからの復興が成し遂げられた。
なお、本稿ではアタリショックと呼ばれた現象が
あったことを端的に記したものの、事実関係はもっと複雑に
絡み合っている為「クソゲーによってアタリの市場が崩壊した」
「アタリの株価が暴落して会社が分割、売却された」
と言い切るべきではないとの説もあります。

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