懐かしのゲーム紹介『本将棋 内藤九段将棋秘伝』
『本将棋 内藤九段将棋秘伝』は1985年8月10日にセタよりファミリーコンピュータ用ソフトとして発売された将棋ゲーム。
棋聖・王位のタイトルを通算4期獲得した棋士、内藤国雄の監修の元制作されたファミコン初の将棋ソフトである。
ジャンル | 将棋 |
対応機種 | ファミリーコンピュータ |
発売・開発元 | セタ |
発売日 | 1985年8月10日 |
定価 | 4,500円 |
プレイ人数 | 1人 |
判定 | 良作 |
ポイント | FC将棋第1作目 |
ファミコン初の将棋ゲーム
『本将棋 内藤九段将棋秘伝』(以後“内藤将棋”)はファミコンソフトとして初めて発売された将棋ゲームである。
ファミコンが発売された1983年から製造終了となった2003年までの間に発売された将棋ソフトは全部で6本。
その中でも一番古いタイトルであるにも拘らずユーザーインターフェースもシステムもしっかり作り込まれており
最初は「ファミコンで将棋が楽しめるのか?」と懐疑的に考えていた将棋ファンも納得の出来でした。
ファミコンで発売された将棋ゲーム
本将棋 内藤九段将棋秘伝(セタ:1985年)
森田将棋(セタ:1987年)
谷川浩司の将棋指南Ⅱ(ポニーキャニオン:1988年)
ファミコン名人戦(SKN:1988年)
谷川浩司の将棋指南Ⅲ(ポニーキャニオン:1989年)
ファミコン将棋竜王戦(アイマックス:1991年)
グラフィック
ファミコンのドット絵で漢字を表記するのは難しかったため当時のゲームは
基本ひらがな・カタカナしか使用していなかったが、本作は漢字の部分の文字を大きくする事により漢字表記を実現させている。
やはり将棋という和の盤上遊戯であるので、漢字がある事によりグッと没入感が高まる。
さらに駒に書かれた文字も一目でわかる様に「一字駒」を採用し、筆体までも拘って表現されている。ドット絵でこの駒文字を表現しているのは評価できる。
一字駒とは
分かり易さを重視し、通常二文字で書かれている
将棋の駒(王将、飛車、角行、金将、桂馬など)を一文字で記されている物(王、飛、角、金、馬など)。
一字駒はとにかく見易いのが特徴であり「NHK杯」などでも採用されている駒である。
演出
ゲーム画面は左側3/4くらいが将棋盤であり、右側残りは向かい合って将棋を指しているプレイヤーとロボット(対戦相手)となっている。
プレイヤーが一手指す際には盤上に人間の手が現れ、CPUが指す時はロボットの手が現れる。
指し手を進めるたび両者ともに簡易な動作をし、勝敗に応じて悔し泣きなどの演出も入る。
ゲームシステム
2人対戦プレイはできない。
あくまでロボットとの対戦だけであるが、「先手or後手」「角落ち」「二枚落ち」の選択が可能である。
そして通常将棋では禁じ手とされている「打ち歩詰め」が有効となっている。
ロボットの強さは一つのみでありバリエーションは無い。
本作には「待った」の機能があり、悪手を指してしまった際にBボタン連打で「待った」を掛けることができる。
しかしロボットも簡単には待ってくれず、Bボタンを連打する事により
プレイヤーが頭を下げるアニメーションが入るのだが、それを9回繰り返すまでひたすらボタン連打してやっと待ってくれる。
実際に「待った」してもらうには相当のボタン連打が必要となるのでなかなかの労力を必要とする(笑)。
CPUの強さ
昭和60年というかなり古い時代のゲームであるにも拘らず、CPUの思考速度はとても速く待たされることはまず無い。
もちろん思考速度が速いという事は戦略のバリエーションが少ないという事に他ならず、使ってくる戦法は振り飛車の美濃囲いのみである。
将棋の有段者や、その後時代の流れと共にどんどん強くなっていくAI将棋ゲームなどと比べると物足りない強さと言える。
しかし将棋の初心者などでは到底太刀打ちできないレベルは保持しており、ちょっと将棋を嗜んだくらいの小学生だと「待った」を駆使しまくることは必須であろう。
しかし研究を重ねたプレイヤーたちによって敵を最短で詰む棋譜は既に確立されており、その手数は「15手」である。
筆者と『内藤将棋』
本作が発売された昭和60年頃は、小学生男子であれば将棋のルールを知っている者が多く子供達の間でも幅広く遊ばれたタイトルであった。
お爺ちゃんに将棋を教わっていた筆者は同じ学年の中ではかなり強い方であったが、この『内藤将棋』を初めてプレイした時は惨敗し、全く歯が立たなかったのを覚えている。
悪手をやり直したく「待った」を掛けたいが、ボタン連打が相当面倒だったので、その時だけ妹を呼んで連打させていた(笑)。
それからしばらく経ったある日、友達が15手で勝てる最短の棋譜を手に入れてきたので一緒に試したところ
あの強かったロボットを本当に15手で詰むことができてびっくりしたのは今でもはっきりと憶えている。