幻の任天堂プレイステーションの存在をご存知ですか?

幻に終わった任天堂プレイステーション
16bitゲーム機全盛の1990年代前半に、その計画は
立ち上がり、そして幻に終わりました。
噂だけは知られていましたが、2015年になって
噂だけは知られていましたが、2015年になって
実物の所有者がネット上に写真と動画を公開した
ことから世界中で認知されることとなったんです。
8bitから16bit時代の「絶対王者」任天堂と3
8bitから16bit時代の「絶対王者」任天堂と3
2bit時代を制圧したソニー。
ゲーム機戦国時代の栄枯盛衰を思わせる両者が
ゲーム機戦国時代の栄枯盛衰を思わせる両者が
交わる可能性がたしかにあったのです。
スーパーファミコンのコントローラーに
「プレイステーション」と記されていますよね。
そして見慣れないCD-ROM、スーパーファミコンに
そして見慣れないCD-ROM、スーパーファミコンに
CD-ROMがなかったことは誰もが知っています。
任天堂一強が揺らぎ始めた?スーパーファミコン時代
ファミコンで圧倒的な成功を収めた任天堂に挑み続けたセガ。
ゲームメーカーとして成功を収めたハドソンと組んだNEC。
「ファミコンの次」を狙った戦いはこの3社が中心でした。
なかでもNECは当時8bitパソコン市場をリードしていましたが
「ファミコンの次」を狙った戦いはこの3社が中心でした。
なかでもNECは当時8bitパソコン市場をリードしていましたが
1985年にはCD-ROMを記録媒体としたゲーム機の構想を持ち
同時期に高性能のチップ開発に成功したハドソンと組んで
PCエンジンの開発に動くのです。
PCエンジンとメガドライブ
ファミコン一強を崩しにかかったのはPCエンジンとメガドライブ。
結局は後発ながらスーパーファミコンに市場を
制圧されるのですが、ファミコン一強時代に
終止符を打ったマシンたちでした。
ゲームの記録媒体としては後にCD-ROMやDVDが
主戦場となるのですが、80年代中盤からその構想を
抱いていたのはNEC。任天堂については2001年の
ニンテンドーゲームキューブまで、CDやDVDを
記録媒体とする選択をすることがありませんでした。
PCエンジン
メガドライブ
スーパーファミコン
大容量を扱えるCD-ROM機が立ち上がる
PCエンジンについては当初の計画通り、セガは遅れること
3年でCD-ROMドライブユニットを投入。
国内ではPCエンジン、北米ではメガドライブが
国内ではPCエンジン、北米ではメガドライブが
CD-ROMの市場を牽引しました。
CD-ROM2
メガCD
CD-ROM機構想について、いち早く着目していたのはNEC。
しかしながら80年代中盤、同じくCD-ROM機構想を
しかしながら80年代中盤、同じくCD-ROM機構想を
抱いて任天堂に話を持ち掛けたのが実はソニーでした。
1990年1月には任天堂とソニーで次世代ファミコン
1990年1月には任天堂とソニーで次世代ファミコン
共同開発に調印し、CD-ROM機の開発を表明しています。
スーパーファミコン発売の11か月前のことです。
これこそ、任天堂プレイステーションとなるマシンでした。
ソニーは当然、試作機の開発を着々と進めていきました。
喰うか喰われるか、任天堂とソニーの協業は空中分解
1992年1月、任天堂はスーパーファミコン用大容量化の
周辺機器「スーパーファミコンCD-ROMアダプタ」を
フィリップス社と共同開発を記者会見で発表。
これはプレイステーション計画を白紙に戻した末の選択でした。
「主戦場をCD-ROMに移した場合、組み先である
ソニーに覇権を握られてしまうのでは?」
任天堂にそんな思惑が働いたことが、当時の経緯からみてとれます。
しかしながら、結果として任天堂とフィリップス社
しかしながら、結果として任天堂とフィリップス社
との共同開発も日の目を見ることはありませんでした。
当時のソニー久夛良木健さん(プレステ生みの親)のコメントです。
ソニーの久夛良木健によると、フィリップス社との
共同開発機には、CD-iが採用される事になっており
CD-iをフィリップスと共同開発したソニーとしてCD-iに
できる事、できない事を理解しており、「任天堂さんとは道が離れた。
進化の先に見ていたものが違った。」と判断し
だったら我々は我々の方法で、進化を加速させよう!
とソニーの独立したゲーム機、プレイステーションを
開発する事になった。
結果、任天堂プレイステーションは幻に。
スーパーファミコンとCD-ROMアダプタの一体型
ゲーム機としてソニーから1993年発売予定だった
このマシンはお蔵入りし、ソニーは独自の
プレイステーションとして32bit時代を勝ち切ることとなりました。
セガサターン
プレイステーション
NINTENDO64
1990年中盤は、ソニーのマーケティング戦略が
完全に勝利したといってよいでしょう。
ナムコやスクウェア、エニックスといったファミコン時代を
ナムコやスクウェア、エニックスといったファミコン時代を
支えたゲームメーカーはすでにプレステ陣営に移った後のことでした。