小さいころは高すぎて手が出なかった…。至高のゲーム機だったネオジオ

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「至高のゲーム機」といえば、皆さんはどのゲーム機を
思い出しますか?1年単位で圧倒的にゲームマシンが進化を
続けていた20世紀、もっと王道なファミコン→スーパーファミコン
→プレイステーションはもちろんのこと、その周辺には
いくつもの魅力的なゲームマシンが存在し覇権を競っていましたよね。
僕が個人的に思う至高と名の付くゲーム機は発売当初の
PCエンジンCD-ROMそしてこのネオジオでした。




キャッチコピー「凄いゲームを連れて帰ろう」

2018年に「NEOGEO mini」が発売されたときに
「コッチかよ!」なんて一人ツッコミを決めてみた方は
どれくらいいるのでしょうか。
1990年に登場したネオジオには業務用ゲーム機と
家庭用ゲーム機とがありました。家庭用ゲーム機として
「凄いゲームを連れて帰ろう」のキャッチコピー通りの
至高な存在であった一方で、業務用ゲーム機としては
革命的にリーズナブルな展開を実現していました。
「ネオジオ(NEOGEO)」とは「新たなる大地」
意味する造語で、まさに業務用と家庭用を股にかけた業界の風雲児でした。

人によって「超高額ハイスペックな家庭用ゲーム機」
もしくは「本格的なゲーセンではない本屋や
スーパーの一角に併設されていたリーズナブルな業務用ゲーム機」
どちらのイメージを持っているか分かれると思います。

業務用ネオジオ=Multi Video System(MVS)

MVSと呼ばれる業務用ネオジオよくゲームセンターにありましたね。
当時はゲーマーとして知る由もありませんでしたが
このMVSの特徴に「低価格」「省スペース」がありました。
まず、その特徴として最大6本のロムカートリッジを
本体にセットすることが可能という点。
ゲーセンは一筐体で一ゲームと思っていましたが
カートリッジで切り替えることが出来るのはMVSの強みで
ゲーム基盤の単価がだいたい20万円前後だったのに比して
このカートリッジは数万円。しかもゲームを切り替え
出来るわけですから、広さに余裕のない場所にでも
ゲームを設置することが出来たんです。
だからデパートの最上階階段横にはこの筐体が
置かれていたのか!といまになって知る。。。
なんだか家庭用ゲーム機を業務用に転換したような
錯覚に陥りますね。とはいえゲームが通常筐体より
劣化しているなんてことはなく、バリバリの
格闘ゲームがたくさん出ていました。

MVS

MVS

下記のように基板上にカートリッジスロットが存在し
複数のゲームを1台の筐体で共用することが出来ました。
時代的にはCDチェンジャーなどの発想をつい
連想しちゃいますよね。筐体のなかにこんなのが入っていたとは。
知りませんでした

4スロットタイプのMV-4

4スロットタイプのMV-4

1990年に発売開始されて2004年まで、ハードが
日進月歩で進化を続けた時代に14年間もソフトを
供給し続けたことは大成功だったといえるのではないでしょうか。

家庭用ネオジオ=Advanced Entertainment System(AES)

「100メガショック!ネ・オ・ジ・オ!! のCM
憶えている方も多いことでしょう。同時代では
「ビジュアルショック!スピードショック!サウンドショック!
時代が求めた、16ビット」のメガドライブと並んで
刺激的なキャッチフレーズでした。
いまとなっては当時の1メガ=1メガビットで
思ったより8分の1だったんじゃん!とツッコミも
いれたくなるものの、逆にその容量であれだけの
ゲームが作られていたことに驚きを隠せないわけです。

AES

AES

カセットがとても大きかった!!

カセットがとても大きかったですね!!

本体価格が58,000円、ロムカセットソフトも
3万円以上したので普通は買えませんよね
僕の周りでは一人だけ、お金持ちの友人がいて
そのクオリティーを体感することが出来ました。
ちなみにカセットの単価を抑えるのに一役買った後継の
ネオジオCDは、CD読込み(ロード)の異常な長さが不評で
普及に至らなかったひとつの要因となりました。

ネオジオといえばやっぱりコレ!!

問答無用!ゲーセンの迫力をそのまま
体感できるゲームに圧倒されたものです。

NEOGEO CD – FATAL FURY / GAROU DENSETSU 餓狼伝説 宿命の闘い ( FULL GAME )

龍虎の拳AC版 ART OF FIGHTING

ネオジオ終焉の背景

2004年、SNKの後継企業に当たるSNKプレイモアは
『サムライスピリッツ零スペシャル』を最後に
ネオジオの生産を終了させた。生産終了の最大の理由は
「海賊版、エミュレーターなどのコピー問題」である。
SNKや後継のSNKプレイモアはこの問題に対策を施したが
発売から10年以上も経っていたこともあってハードは
すでに徹底的に隅々まで解析され尽くされていた。
そのため、知識のある人間によってコピーガードなどの
プロテクトは簡単に解除されたり、会社側がさらに
セキュリティを強化しようとしても、今度はソフトの互換性に
問題が生じることとなってしまった。
以上のことなどを踏まえ、SNKプレイモアは生産終了を発表し
事実上ネオジオの歴史に幕を閉じることとなった。
このことについては「ザ・キング・オブ・ファイターズ完全読本」
内でも、SNK時代からのSNKプレイモア社員によって語られている。




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